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宿泊業界のWebサイト制作NO 1 を目指して
宿泊業界のIT導入の先駆け

愛知県安城市から名古屋へオフィスを移転し、社員一丸となって全国を視野にいれ
動き出していました。

豊田のホテルの女将さんに紹介していただいた、愛知県ホテル旅館衛生同業組合(愛旅連)の
渡辺理事長との出会いが当社の発展に大きく影響しました。

渡辺理事長自ら名古屋市内の旅館、ホテルにご同行頂き、HPの必要性を話して頂いたことが
会社の飛躍に結びつきました。
理事長との出会いがなかったらこんなにスムーズに拡大はで゛きませんでした。


愛知県から始めた営業展開はやがて、岐阜県へと広げていきました。

高山市と下呂町にはコンサル先もあって毎月行っていましたが、とにかくお客様を増やそうと
営業に走り回っていました。

高山市のお客様から朝10時に来てほしいと言われれば、朝6時には家を出ました。

あるとき奥飛騨の旅館から「夜8時に来てください」
と声がかかりました。

その日は雪がちらついた寒い夜でした。
温暖な愛知の生まれの私ですから、雪道は通ったことはありません。
しかも夜道です。
コンサル先の女性社長は山また山を越えて奥飛騨温泉郷まで行く
私の後ろ姿を見て
「女性でもここまでやるんだ」と驚いたといいます。(後日談)

お客様が来てほしいといわれれば、嬉々としてどこでも走り回っていました。
雪道の怖さを全く感じないほど必死な思いがありました。

突然、声が出なくなり、呼吸困難で入院

高山市、奥飛騨温泉郷、下呂温泉など、ホテル・旅館の営業に走り
回っていた日々はしばらく続きました。

そんなある日、激しい咳と呼吸困難に陥り、歩くこともままならない
状態で病院に駆け込みました。
即入院です。

過労による気管支喘息でした。

入院中には引き受けていた愛知県高浜市の講演に、病院を抜け出し
駆けつけました。
さすがに立って講演ができずイスに座ったままで話をさせてもらいました。

仕事が山積みですから気持ちの上では入院どころではありません。

早々と退院して、北海道道東地区の女性部の講演会にも出かけました。
一泊二日の宿泊セミナーは3年目を迎え、毎年約100名位の女性部の集まり
で、馴染みの方々ばかりで楽しいセミナーのはずですが、
私の体力はもう限界になっていました。

ピンチはチャンス

こんな営業方法では過労で倒れて「死んでしまう」

座っていて営業ができる方法はないだろうか?
必死になって営業方法を模索していた時、出会ったのが「日本一のマーケッター」神田昌典氏
の営業方法でした。

A4一枚に成功事例を丁寧に掲載し、直接FAXで営業を展開するのです。
やがて、インターネットに切り替えましたが、
それが爆発的にヒットし、HPの制作依頼が全国から殺到してきたのです。

ピンチはチャンスといいますが、その通りですね。
病気をして、初めて別の営業方法を真剣に考えた結果、見いだせた営業方法ですから・・・・

いま、振り返ってみますと、経営者というのは私に限らず、どの経営者もいろんな危機を乗り越えて
こそ、会社が存続しいまがあるのですね。

そうして、子供を育てるように大事にしてきた会社も、やがてはみんな事業承継をするときが
必ず間違いなくやってくるものです。

この会社と働く社員とお客様の幸せのために、永遠に発展し続けてほしいと願うのは
経営者の共通の思いに違いありません。

最後はハッピーリタイアの実現にむけ、悔いのないような幸せな事業承継
をしていきたいものです。


株式会社HRコンサルタンツ  廣野 嘉代子

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# by hrconsul | 2013-11-08 20:35
ITの会社を起業するきっかけ
 私はITの会社を起業する前に、商業のコンサルタントとして独立し、「まちづくり、店づくり」で
全国に講演に回っていました。
 
「街づくり、店づくり事業」も国の補助金の先細りが顕著になったころ、私の運命を変える
出来事がありました。

それは北海道名寄市のお菓子屋さんとの出会いでした。
商工会議所の講演が終了し、店舗診断に巡回した地元では有名なお菓子屋さんです。

「インターネットからハスカップパイの注文が、全国から入り月100万円の売り上げがあります」
と社長からショッキングな話を聞いて、商店の活性化はインターネットにあると
直観し、私は帰りの飛行機の中でパソコンを買おうと決心しました。

そして1年後の平成11年には会社を設立しました。
それには会社の幹部となり、現在の役員となった強力な助っ人のお蔭で、
パソコンのパの字も知らない私が、
会社を設立できたのです。

2年間はネット販売の顧客獲得に全国を奔走し、営業の大変さを身を持って体験しました。

そんなある日、奥飛騨温泉郷の旅館のホームページ(HP)をオープンしたところ、
予約が殺到したことにびっくり。
いま、いちばんHPを必要としているのは宿泊業だと判断し、
方向をネット通販から宿泊業へと転換したのでした。

宿泊業に特化してからは、営業方法をFAXDMに移行をしたことで、
一挙に顧客の獲得が進み、
やがてメールマガジンに切り替えていき、徐々に業界をリードする立場に
なっていきました。

平成18年、オフィスを愛知県安城市から名古屋市の中心部へと移転して
いきました。



株式会社HRコンサルタンツ  廣野 嘉代子

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# by hrconsul | 2013-10-28 18:01
こうして私は創業した会社を事業承継(M&Aを経てMBO)で退任した
9月10日の日本経済新聞に「断絶の危機 銀行が救う! ! 中小企業の代替わりの手助け」
の記事が掲載されていました。

経営者が高齢化するなか、国内企業の9割超を占める中小企業の事業承継は、
日本経済全体にかかわる重要課題で、この「代替わり」
を銀行が手助けをするという内容の記事です。

帝国データバンクの7月の調査によると、企業の8割超が事業承継は「経営問題と認識
している」と回答しているが、実際に対策に着手しているのは、4社のうち1社のみであるが、
大きな課題であることにはちがいありません。

私にとっても事業承継は頭を痛めていた大きな課題でした。

現実的には目の前の仕事に精一杯で、何からてをつけてよいのやら、
どこに相談してよいのかもわかりませんでした。

しかし、その時は突然やってきました。
そして昨年9月末日をもって私は平成11年に創業したWeb制作会社を事業承継
(M&Aを模索するもMBO)する結論をだし退任したのです。

直接の退任のきっかけは、責任の重さに心身共に耐えられなかった
というのが、残念ながら本当の理由です。

なぜ、残念ながらとマイナスな言葉を使ってしまったのかといいますと
決して会社の業績が悪かったから逃げ出したのではないのです。

外部から社長を迎え入れ私は会長職となり4年ほどが経過していました。

当時から業界をリードする立場にありましたが、積極的な新社長の営業努力もあって業界では
注目される存在になっており、
事業は売り上げも順調に増え続け社員数(約100名)も急激に増えていました。

企業は継続的な発展を遂げるべく努力することは宿命です。
従来の事業だけを守っているだけでは、発展は望めないので、事業の多角化は
当然のなりゆきといえるでしょう。

ITの進展の速さに、私は自分の限界を感じていましたし、後進に道を譲るべき時期がきている
ことを察していました。

新規事業が増えるにつれ、財務面の管理、執行するCFO(最高財務責任者)
としての役割も増え奔走する毎日でした。

やがて心身共に疲れも限界に達し、何が何でも退任したいと最後の結論をだし決行いたしました。

8か月間いろんな心の葛藤はありましたが、過ぎてみればすべてこれでよかったと幸せな思いで
いっぱいです。


株式会社HRコンサルタンツ  廣野 嘉代子

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# by hrconsul | 2013-09-12 17:34
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